「本能行動」/「固定的活動パターン」
高校の教科書をいくつか読んでみて「本能行動」という概念についてうまく説明しているなと思ったのは三省堂の教科書で,それには次のように書いてあった。「走性は,比較的単純なしくみによって調節される行動である。多くの動物は,走性のような(単純な)行動だけでなく,特定の刺激に対して,生存の目的にかなった一連の決まった行動を,生まれつき示す事がある。このような行動は,本能行動とよばれ,生得的行動の一種である。」これを読むと,次のような性質を持つ行動を「本能行動」と呼んでいるのだということがわかる。1)走性よりも複雑である,2)特定の刺激によって引き起される,3)生存の目的にかなった行動である,4)生得的な行動である。
妥当な記述だと思う。ただ,非常に基本的で大切なことが一つ忘れられているように思う。それは,このような特徴を調べるには,その対象とする行動が識別可能でなければならない,ということである。識別可能というのは,その行動が別の行動と区別でき,かつ,その行動が別の時にもう一度起こった時に同じ行動が起こったと判定できる(同定できる)ことである。
このことは,あたりまえのようだが実はとても重要なことである。◯◯行動というものが繰り返し観察され,しかも,誰が見てもそう同定できるからこそ,その行動を対象として科学が成立しうるのである。別の言い方をすれは,行動についての科学が可能であるためには,対象とする行動を定義できなくてはならない。
というわけなので,動物行動学はまず定義・同定可能な行動のまとまりを見つなければならなかった。そして再認識したのは,動物の行動には非常に定型性の高い動作パターンが多数含まれているということだったのである。その定型性は非常に高いので,容易に識別可能である。このようなパターンは「固定的動作パターン」(FAP: Fixed Action Pattern)と呼ばれた。このようなパターンは種のメンバーで共通している。それはあたかも,解剖学的特徴(骨格や神経配置等)が種に固有であるかの如くである。古典的な動物行動学の成果の多くはこの「固定的動作パターン」に対するもので,上であげた教科書の本能行動の特徴記述もそのような成果の一部である。
確かに動物達の行動は,識別可能で定型的な動作パターンに満ちている。なかでもコミュニケーションで使われる行動は特に印象的である(例えば,
「ハクセンシオマネキのWaving行動」(データ番号: momo030830ul01b),
「クジャクの求愛」(データ番号: momo050927pc01b))。でもそれだけではない。
「キツネが遊ぶ」(データ番号: momo070317vv01b),
「イエネコの遊び」(データ番号: momo051027fs01b)で見られる狩猟行動を想起させる行動パターン(キツネがほとんど垂直に飛び上がること,ネコが体を低くかがめながら片方の前肢を素早く繰り出すこと)もそうである。あるいは,歩き方,走り方,泳ぎ方といったごく普通の行動パターンも種に固有である(わかりやすい例としては,
「アデリーペンギンの"イルカ泳ぎ"行動」(データ番号: momo030424pa01a))。ここで種に固有というのは,その種のメンバー全員が同じように行うという意味である。
ヒトの行動にもそのような種に固有のパターンが数多く存在する。例えば歩き方(二足歩行)がもちろんそうであり,あるいはコミュニケーションにおいては「笑顔」がそうである。笑顔という活動パターンは,誰が見てもそうと分かる。たとえ文化が違っても,驚くほど似ているのである(というより「同じ」である)。だから,まったく未知の文化の人々に出会ったとして,彼らが「笑顔」と思われる表情で近づいて来たなら,私達は彼らが友好的にふるまってくれるだろうと信じてもまず間違いはない。また,ヒトがこの活動パターンを行うようになるにあたり,学習の影響が極めて小さいことも知られている。アイブル・アイベスフェルトの「ヒューマンエソロジー」(ミネルウ゛ァ書房)には,生まれたときから聾盲の少女が見せてくれるとてもかわいらしい笑顔の写真が載っている。
教科書の「本能行動」は「固定的動作パターン」と内容が大きく重なると思う。ただ,教科書で本能行動の例としてあげられているのはイトヨの攻撃行動であり,典型的な「固定的動作パターン」に比べれば,その動作の定型性は際立ってはいない。もちろん動作パターンの定型性は存在する。しかし,この攻撃行動を定義/同定するには,むしろ,それらが同じ結果(他個体の体を吻部で打突する)をもたらす,ということを用いた方が便利である。「固定的動作パターン」は,しばしば特定の対象に定位されて行われる。この定位成分の役割が大きい場合,行動は定位のために大きく調整され変化を受ける。このような場合は,その定位対象に対する結果による定義がふさわしくなる。行動の動作パターンと結果は行動を定義するための二つの方法である。
私は「本能行動」よりも「固定的動作パターン」概念を教科書で紹介した方が良いのではないかと思う(この用語にも批判があるのは承知している)。後者の方が相対的に明確な概念だと思うからである。「本能行動」という概念がわかりにくいのは,そこに「本能」という,それ自体ややこしい言葉が含まれているからである。「本能」とは何だろう。これに答えるのは大変難しい。実は,動物行動学では本能という言葉は,もはや専門用語としてはほとんど使われていない。この言葉は,長く使われているので,いろんな文脈や意味で使われるようになっている。それで,いわば「手あか」がついてしまっており,その本来の姿(そんなものがあるとしてだが)はなんだかよくわからなくなってしまったからである(そして,その手あかを払ってきれいにする新しい劇的な研究の展開もないのである)。本能についてはまた改めて考えてみたいと思うが,とりあえず,本能=行動が学習によらずに行われること,というわけでもないことを指摘しておきたい。というわけで,この話はまだつづくのでした。
藪田慎司(帝京科学大学アニマルサイエンス学科)
2009-01-16