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「反射」と「本能行動」:高校教科書の問題点

ティンバーゲンの実験 - イトヨの闘争行動を解発する鍵刺激
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昔,予備校で生物を教えていた時,最も教えにくかったのが「動物の行動」であった。自分の専門なのに,である。教科書の記述は木に竹を接いだような感じがした。ストーリー性を持って語ることが出来ずに,いつもゴニュゴニョと誤摩化していたような気がする。

最近,相方が高校で生物を教え始めたのを機会にあらためて考えてみた。以下,それについて書く。興味のある方は読んでみて下さい。ただ,今回の文章はこのコラムとしては長くなってしまった。悪しからずご容赦下さい。

さて,ある教科書に,本能行動は「反射の連続」である,と書いてあった。

本能行動の例としてあげられていたのは,トゲウオのオスの攻撃行動である。トゲウオの攻撃行動というのは,ねわばりに侵入して来たライバルオスに対して,突進して吻部で打突する行動である。同じ行動の映像がデータベースにもある(「ティンバーゲンの実験 - イトヨの闘争行動を解発する鍵刺激」(データ番号: momo050707ga01b))。ご覧の通り,侵入者に向かった「泳ぎ」がこの攻撃行動の主要な構成要素である。もし「本能行動」が「反射の連続」なら,この行動の構成要素である「泳ぎ」は「反射の連続」のはずである。

しかし,魚類の遊泳運動は「反射の連続」ではない。

魚類の遊泳は,多くの筋肉が協調的に関わる活動である。全ての体節において,胴の右側と左側の筋肉が交互に収縮し,さらにそれぞれの体節の筋肉は,その前の体節の筋肉の収縮からわずかに時間を遅らせて収縮する。これによって,体軸の波打つような運動が生じる。さらに,各鰭についた筋肉がこの振動に合わせて前後に運動する。ここで重要なのは,この複数の筋肉の連続的かつ協調的な収縮が,外部からの刺激フィードバック無しに自律的に起こることなのである。かつてフォン・ホルストという動物行動学者/生理学者が,魚の遊泳行動の研究を行った。彼は,末梢受容器からの神経を切ってしまったが,遊泳運動はそれでもきちんと起こったのである。

ある筋肉活動が外部刺激なしに起こるのであれば,それは反射とは言えない。反射とは外部の刺激に対して自動的に起こる反応のことだからである。だから魚類の遊泳行動は反射の連続には還元できない。

では,遊泳行動はどのように生じているのか。上の実験が示唆しているのは,中枢神経系において,その「司令」が自発的に形成されているらしいということである。その後,ヤツメウナギの研究から,その司令システムが実際に脳幹にあることが示された。このような中枢神経システムは,central pattern generator (CPG)と呼ばれている。本能行動のメカニズムについて述べるのであれば,反射ではなく,むしろこのCPGについて説明すべきだと思う。

さてここまでは,トゲウオの攻撃行動を分解する方向に考察してきた。しかし,この攻撃行動全体を一つの単位と見なしたらどうだろう。それは全体としてある種の「反射」とみなせるのではないだろうか。実際そのように記述している教科書もあった。確かにトゲウオの攻撃行動は,ライバルオスの赤い下腹という刺激によって引き起される。しかも,その刺激は本物のライバルでなくてもよい。その意味で相当自動的な反応であり,「反射的」と表現してもいいだろう。だが「反射」と呼ぶのはあまりにも乱暴すぎる(だからこそ「本能行動」という別名を与えているのだ)。

膝蓋腱反射や瞳孔反射のような反射と,トゲウオの攻撃行動のような「本能行動」との間には,その複雑さにおいて,とんでもない開きがある。典型的な反射に関わる筋肉の数はたかだか数本であろう。しかし,トゲウオの攻撃行動はどうだろう。正確にいくつの筋肉が関わっているのか,完全に数えることすら難しい。既に述べたように各体節にある筋肉群が関わっている。鰭の筋肉も関わっている。打突の際には口の周りの筋肉が関わるだろう。さらに定位の問題も忘れてはならない。膝蓋腱反射や瞳孔反射は,特別の定位を必要としない。しかし,トゲウオの攻撃行動は対象(ライバルオスである)に向けられていなければならない。映像では攻撃対象はダミーだからじっとしていてくれるが,本物のライバルはそうはいかない。その動きに対して,トゲウオは遊泳の向きを絶えず調整しなければならない。場合によっては,急激な方向転換が必要な場合もあるだろう。トゲウオの攻撃行動には,そのような調整という別の複雑さも含まれているのである。加えて言えば,そのような調整には,眼からの感覚入力も関与しているはずだし,であれば眼の周りの筋肉もこの行動の一部である。これを反射と呼ぶのは,チョロQと自動操縦のジェット機を,どちらも自動的にまっすぐ動いているから同じだと見なすくらい乱暴なことだと思われる。

「本能行動」は反射そのものでもないし,反射の連続にも還元できない。では,いったい何なのだろう。それは「本能」と同じ意味なんだろうか。結局,「動物の行動」単元のわかりにくさの原因の一つは,「本能行動」という概念のわかりにくさにあるようだ。次回(ずいぶん先だが),このあたりについてもう少し掘り下げて考えてみようと思う。 (たぶんつづく)


補記:1973年のノーベル医学生理学賞は,ローレンツ,ディンバーゲン,フォン・フリッシュら動物行動学(エソロジー)のパイオニア達に与えられた。フォン・ホルストは既に1962年に死去していたが,ローレンツは,もし存命であれば彼が受賞者に含まれていたはずだ,と語っている。
藪田慎司(帝京科学大学アニマルサイエンス学科)
2008-11-28

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